 |
 |
 |
 |
| 三川内(みかわち)は長崎県佐世保市にあり、三川内皿山・木原皿山・江永皿山、その三つの地区に窯元が集中していて三川内三皿山と呼ぶ。 |
 |
豊臣秀吉の朝鮮の役を別名、焼き物戦争ともいい当時(1598年)の二十六代平戸藩主が朝鮮より連れ帰った陶工の一人巨関(こせき)が平戸・中野で窯入れをしたのが始まり。しかし良質の陶石が近くになかったため、巨関とその息子今村三之丞は陶石を探し求め最後に落ち着いたのが三川内だった。
二十八代平戸藩主の命により三之丞は三川内山に藩用窯を開き、その後皿山役所の出張所を木原山と江永山に設けそれが三川内三皿山の起こりだ。南蛮交易が盛んだった頃は、有田焼同様たくさんの三川内焼が輸出された。しかし藩用窯だったため江戸幕府が倒れると存亡の危機に立たされる。民窯に転じるため当時の人たちの努力は並大抵ではなかった。しかし、豊島政治がこれを見て再建に乗りだす。販路の拡張、伝承の技を守るため意匠伝習所を創設した。伝承所の指導のもと三川内焼の優れた技術は、若い陶工たちに受け継がれ今日に至っている。 |
 |
| 三川内焼の芸術性は、高い評価を得ており、国の伝統的工芸品の指定も受けており、若手の三川内の作家たちが伝統の技術に加え、新しい感覚と技術で新しい三川内焼を創りだしている。 |
 |